2015年12月15日火曜日

時間よとまれ!

 子どもの頃手塚治虫のマンガが好きだった。特に「永遠の命」をテーマに時間や空間を超えて展開する壮大なドラマ「火の鳥」には衝撃を受けたものである。時間を止めることができる主人公の物語「不思議な少年」もユニークな作品として記憶に残っている。火の鳥は「永遠の時間」、不思議な少年は「一瞬の時間」どちらも時間がキーワードである。
 人は誰も偶然に生まれて、必然として死んでいく。この限りある時間を生きていくのが人間。長短はあっても限られた時間を生きるのは皆同じである。
 永遠の命を手に入れたことで不死の体となり、それがいかに苦しく辛いことなのかを描いた作品もある。永遠の命とは永遠の時間を生きることを意味する。これは確かに辛いことかもしれない。

人生シーンの中には、時間が早く過ぎて欲しいと願うこともあれば、この幸福な時間がずっと続いて欲しいと思うこともあるだろう。しかし、ファンタジーではない現実の世界では時間をコントロールすることなど誰にもできない。こうしている時間も確実に一秒一秒時が刻まれ、カウントダウンが続いている。そう考えると、時間との付き合い方はこの上なく重要であることに気づく。

 104歳の現役医師 日野原重明先生が小学校で「命の授業」を行っている。子どもの時はすべての時間を自分のためだけに使っている。「大人になるということは大切な時間を人のために使うことなのですよ」。そして「命とは時間のことなのです」と続ける。
限られた命とは、限られた時間のことである。「時間を大切に、すべての命を大切にしましょう」という荘厳なメッセージである。
 今年もあっという間に師走。時の経過スピードは毎年加速度的に速くなっていることを自覚せずにはいられない。地球の年齢と比べると人の命の長さなどは瞬間かもしれない。けれど、私たちは、かけがいのないその瞬間を生きている。
「命とは時間のことである」というこのメッセージが重く響いてくる。

2 件のコメント:

  1. ロクリアン正岡2015年12月16日 9:02

    もう昔から「時間を停止、静止させることが大切」とは芸術作品創作サイドで言われてきたセリフですが、たとえそこまではできぬとも、時角(LM造語)を狭めることはできるでしょう。あくまでも意識の中のことに限らせていただきますが、時間の多重性、あるいは多重構造(わざと表現ぼかしておきます。これはLMとしては珍しいことですが、ここをマジ、ガチで言語化すると、奥が深くなりすぎるので)は確実に存在しており、芸術畑の創作者
    は、その相互乗換によって、時間の速度を変幻自在に変化させて見せていることだけは確か。
    これはしかし、現実空間に生きるスポーツマンにはもちろんのこと、あの今を時めく(ときめきだしたばかりか?)羽生結弦君はじめとする音楽演奏家の方々には、なかなかわかりづらいことでしょう。
    が、その内なる「バカの壁」こそ、「現実的”力”」を生み出すメカニズムだと存じます。

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  2. ロクリアンさんコメントありがとうございます。深い考察ですね。意識の中と限定すれば、時間停止も含め、時間の多重性は確かに存在すると思います。羽生君もそうかもしれませんがスーパーアスリートのゾーンに入った体験を聴いていると、時空を超えた世界に入っているようにさえ思えます。
    「芸術創作者は時間速度を変幻自在に変化させて見せている」とありますが、これは確かにわかりづらいかも知れません。その内側にあるバカの壁、興味深いです。

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