2024年2月3日土曜日

カウントダウンの人生観

人はある年齢をを超えると、ゴールから逆算して人生を考えるようになるらしい。最近は、特にその言葉が実感をもって心に響いてくる。 ふと父母は何を遺したのだろうと考える。生き様?言葉?子である私? しかし、何を思い、どんなことを考えていたのだろうかについては謎である。 遺されたものが一番知りたいのは、その謎の部分である。確かに想像することはできる。想像が広がることはロマンかもしれないし、想いの深まりへとつながるのかもしれない。 記憶をたどれは言葉にたどり着く。言葉の根底に潜む思いを想像することはできるのだが、、、、
母の本ほど売れなかったが、私も数冊の本を書いた。魂を込めた成果物としては大切なものだが、教科書のような本の中身は、正直いって味気ないものである。そこには「想いや考え」が見つけられないからだ。 かろうじて、まえがきや、あとがきにはそのヒントが滲みでることもある。 そんなことを考えながら、家族には言葉(エッセイのような本)を遺したいと思うようになった。 カウントダウンの人生観からの一歩だろうか。

2024年1月4日木曜日

しあわせの構図

10代の頃、武道を通じて「般若心経」に触れる機会があった。 その300文字足らずのお経にある「色即是空」というフレーズに、なぜか心を惹かれた。 般若心経のなかに。「眼耳鼻舌身意もなく、色聲香味觸法もなく」という下りがある。 和訳すると、 「実体はないという高い認識の境地からすれば、体も感覚もイメージも連想も思考もない。 目・耳・鼻・舌・皮膚といった感覚や心もなく、色や形・音・匂い・味・触感といった 感覚の対象も様々な心の思いもない」となる。 その昔、オーストラリア人と宗教の話をした時に、仏教は難しいと言われたことを思い出した。 確かにキリスト教と比べると少し難解に感じるかも知れない。
さて、スポーツ・ウェルネスに関わる仕事に携わっているが、快で五感と体を整えていくアプローチが 重要と考えている。 以下に簡略化して羅列すると。 目=視覚 →美しいものや 景色に触れることは心地いい 耳=聴覚 →音楽、川のせせらぎ、風の声も心地よい 鼻=嗅覚 →良い香りにふれることは 心地いい 舌=味覚 →美味しい食事は 心地よい 皮膚=触覚(皮膚感覚) 滑らかなもの、や好きな動物にふれることは心地いい というようなことになる。 心地よいものと触れ合うことは 幸せであり。 五感をを満足させることは 健康な心身を喜ばせる。 特に身体調整系の運動指導者は 「美しい姿勢や動き(目)」「爽やかな声や話術(耳)」心地よい香り(鼻)心地よい補助接触(皮膚) 美味しい味覚を共有した打ち合わせなど、 五感を快に誘導し・コントロールすることで、その先にある技術が活きてくるに違いない。 五感ウォーキング、 五感トレーニング、 五感ヨガ, 五感水泳、 五感アクア、 五感体操など、 快刺激でバランスを整えて、しなやかに、機能的に「動けるカラダづくり」を目指したい。 そのプロセスである五感の満足は、「幸せや、健康」に直結するのだから♪
(参照) 菩提薩婆訶 ぼじそわか 般若心経 はんにゃしんぎょう】 観自在菩薩かんじざいぼさつ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみったじ 照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう 一切苦厄どいっさいくやく 舎利子しゃりし 色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき 受想行識亦復如是じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ 舎利子しゃりし 是諸法空相ぜしょほうくうそう 不生不滅ふしょうふめつ 不垢不浄ふくふじょう 不増不減ふぞうふげん 是故空中ぜこくうちゅう 無色むしき 無受想行識むじゅそうぎょうしき 無限耳鼻舌身意むげんにびぜつしんい 無色声香味触法むしきしょうこうみそくほう 無眼界むげんかい 乃至無意識界ないしむいしきかい 無無明亦むむみょうやく 無無明尽むむみょうじん 乃至無老死ないしむろうし 亦無老死尽やくむろうしじん 無苦集滅道むくしゅうめつどう 無智亦無得むちやくむとく 以無所得故いむしょとくこ 菩提薩埵ぼだいさつた 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみったこ 心無罣礙しんむけいげ 無罣礙故むけいげこ 無有恐怖むうくふ 遠離一切顛倒夢想おんりいっさいてんどうむそう 竟涅槃くうぎょうねはん 三世諸仏さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみったこ 得阿耨多羅三藐三菩提とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 故知般若波羅蜜多こちはんにゃはらみった 是大神呪ぜだいじんしゅ 是大明呪ぜだいみょうしゅ 是無上呪ぜむじょうしゅ 是無等等呪ぜむとうどうし 能除一切苦のうじょいっさいく 真実不虚しんじつふこ 故説般若波羅蜜多呪こせつはんにゃはらみったしゅ 即説呪日そくせつしゅわつ 羯諦ぎゃてい 羯諦ぎゃてい  波羅羯諦はらぎゃてい 波羅僧羯諦はらそうぎゃてい 菩提薩婆訶ぼじそわか 般若心経はんにゃしんぎょう

2023年11月27日月曜日

突然 女性の叫び声が

突然、女性の絶叫が聞こえた。比較的小さめの2階建てのビルで、しょう害者が制作した小物販売やレストラン、リサイクルショップなどが入っているビルがある。私は入口近くのショップで小物を見ていた。その時のことだ。女性の絶叫を聴いたのは。TVや映画の中ではあるが、現実の世界でその声を聴いたのは初めてかも知れない。 廊下に出ると大柄な60歳前後の女性が、立ち姿勢のまま唸っている。「ぎっくり腰」とご本人の口から何度も漏れ聞こえた。重そうな荷物を手に持って、急いで帰らなければならないと時間を気にされていたが、激痛で動けない。壁を左手で触ったまま、数センチ足を出すと悶絶の表情を浮かべた。救急車を呼ぶべきか・・などとつぶやいていたが、荷物を預かり楽な姿勢をとらせ、ゆっくり呼吸をするように促した。 右足で体重を支えられるが、左で体重を支えようとすると痛がる。右で体重を支え、楽な姿勢をとるようにすると、通常会話が可能になった。それで安心したのか、5m先の玄関の前に置いてある自転車に向かおうとするが、少し動くと激痛で顔が歪んだ。話を聞いて頂ける状態になったので、自分がスポーツトレーナーであることを伝えると表情が少し和らいだ。
15kgはありそうな荷物の中身は書類だという。いつも右手で荷物を持つ癖が有り、この日も右手で、その重量物を持った瞬間に激痛が走ったという。腰に触れると左側の背筋が硬く盛り上がっているのがわかった。右足で体重をかけながら少しずつ歩を進め玄関を出た。愛用の自転車が荷物運搬用の頑丈でとても重い。彼女に変わって帰る方向に自転車の向きを変えた。体が最も楽と感じる姿勢をとることを何度か訴えていたのだが、見ると大きなビルの円柱形の柱にもたれ、まるで空気イスの姿勢(=膝と股関節を100度ほどに曲げた姿勢)をとっていた。それが楽だという。これを見て自転車に乗って移動できることがイメージできた、案の定、自転車のサドルに乗ると「大丈夫だ」とつぶやき、何事もなかったようにスイスイと自宅へ向かった。10分ほどの出来事だった。 PS.事後のコメント ・体が最も楽と感じる姿勢をとるように声変えると、壁に背を持たれて空気イスの姿勢をとったのは、ひざ・股関節を緩めることで腰が緩んだ。 ・普段の体使いの癖が、大きく影響した可能性が考えられる。左右背筋の硬さや強さのアンバランスがあると、骨盤の左右・前後の傾斜が生じ、体全体のアンバランスが生じる可能性あり。 ひざ、腰、股関節、肩などの運動器の慢性痛の多くは、生活習慣動作が創り出していると言えるのではないか。これを「習慣動作・病」と呼んでいる(矢野史也名付け)。

2023年10月29日日曜日

鉄人 小西薫先生ご逝去の報に触れて

鉄人と思っていた小西 薫さんが逝った。多くの功績を残して。 思い出も少なくない。 日本sc協 関東支部広報委員長時代 支部sc協ニュースで小西先生を特集した。当時先生の事務所が渋谷にあった。確か ある年の12月に事務所を取材で訪問した。 そこには数人の女性が事務所の手伝いをされていた、その中には水泳教師の講師として活躍している田村敦子さんもいた。 水中運動メソッド興味があったので 取材はかなり突っ込んだ内容になったのを覚えている。 CMAというメソッドがある。 かつて爆発的ブームになったPNF(固有受容性神経筋促通法)の水中版である。 (PNFは1940年代にアメリカで誕生した促通手技の一つの方法である。主にリハビリテーションなどで用いられる。1940年代 医師のカバットとPTのノットとの共同作業で完成させた技術。私はノットのお弟子さんで当時 サンディエゴ大教授のボブムーアから、朝から晩まで一週間、PNF技法を教えていただいた経験がある。それはATCの継続単位認定プログラムとして唯一日本開催されていたものだったが、ボブが亡くなってからは、どうなったのか<日本開催のATC教育プログラムがあるかどうかを知らない) 水中PNFは水療法が進んだドイツにもある。ある日 ドイツと比べて 優位性を訊いたら話にならないとCMAの優位を微細に語った。 私ごとだが8月に左膝を痛めた。 2ヶ月経つがまだ80%の回復だ。 筋挫傷だが温浴で行ったCMAが本当に良く効いた。 助かった。医者には通わず自分で直したい。治すのではなく直すのだ。そもそも病気は自分で直すもの。 小西先生は独自に資格を発行していた。最高位は水中機能訓練士。 保持者は数人ではないか。田村敦子さんも保持者のひとり。 午前中は小西先生、午後は矢野史也が陸のPNFを行うコラボ講習も行った。何度も飲った。3時間は当たり前だった。互いに熱くなり延長戦は常なること。 何度も連絡を取ったが。会話できる機会は激減した。 最近 どうしてるだろう と思ったところ訃報。残念だ 残念だ !

2023年9月19日火曜日

喧騒の街

渋谷へ行ったのは何年ぶりだろうか?若者の街と呼ばれ始めて以降は来ていない。 ニュース映像を見るたびに自分との縁が希薄になっていった。 そんな中 ある縁がら渋谷行きの電車に乗ることになった。自宅の府中駅からは近く乗車時間は30分 。 喧騒の街は TVニュースの通りだった。そしてその日の用が終わり(マークシティ)夜の渋谷を探索しながら駅に向かった。 確かに活気のある街だ。しかし好みではやはり銀座。父の勤務先だった銀座は大人の街で親しみが湧く。 だが この渋谷は若者の街か? 私がイメージしていた街ではなかった。確かに若者が覆うが 外国人の数も想像を遥かに超えていた。
ベルギーのカップル。 着物を見事に着こなしていたハンサムボーイは 建築の勉強で日本に来たという。来日10日目で 日本文化を堪能していた。 好感の持てるそのカップルは 私の渋谷への嫌悪感を一気に緩めた。それどころか、「また来てもいいかな」の言葉が脳裏を掠めた。 素敵なストリートミュージシャンとはインスタの交換をした。歌も人柄もよく、魅せられた。 いつか計画中の音楽事業での交流も良いかも。 「悪くないな 渋谷も♫」

2023年9月5日火曜日

那須高原

>先日一泊で那須高原に行った。 2008年6月~2010年2月までエピナール那須で2週間に一度で会員制メンバーの方やご利用される方を対象に、コンディショニングサービスを担当させていただいた。 飛距離を上げたい、痩せたい、慢性痛、廃用性運動障害などなど実にさまざな状況に対してその場で結果を出すといったアプローチを試みた。 かなり挑戦的なものだったが、ほぼうまくいったと省みている。 さて、このホテルには菅井慎三さんという有名な総料理長がいる。といっても8つのホテルを料理面で統括している立場なのでなかなかアポなしでいっても会える方ではない。 ところが2日目にエピナールを訪ねたら、いらっしゃるとのこと。2008年6月から菅井さんとは仲良くしていただいている。 同じ武道を経験していることもあるが、当時から その一途な思考・行動が好きでその魅力は今も全く変わらない。 現在の名刺を見ると「とちぎ未来大使」の肩書きが。とちぎの美味しい食材全国に発信担当官 のキャプション。とても嬉しい知らせだ。どんどん大きくなっていく菅井さん。けれど、会えばあの時と何も変わらない。変わっていたのは当時の地下足袋姿が若干グレードアップしていたくらい。 菅井さんのパーソナルトレーナーとしては直ぐに身体チェック&身体調整。勘のいい菅井さんはとてもやりやすいクライアント。大きな問題もなく元気そう。 菅井さんまた お会いしましょうね。 何度も握手とハグをして別れた。 元気で良かったー。